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【2018】ケイ・ヴィントナーズ ブロンコ マルベック K Vintners Broncho Malbec

商品概要
原産地 アメリカ/ワシントン
ブドウ品種 マルベック100%
タイプ 赤ワイン/フルボディ
容量 750ml

Kヴィントナーズのワインは違いの分かるコニサーにアピールするよう極少量つくられています。過去10年間でチャールズ スミス ワインズとKヴィントナーズのワインはアメリカを代表するワイン・アドヴォケイト、ワイン・スペクテーターとワイン・エンスージアストで95点以上を66アイテム、90点以上を300アイテム以上獲得しています。

ブロンコ・マルベックはストーンリッジ・ヴィンヤードのブドウを使用した、リッチでパワフルな1本です。

ワルいバンドには、ワルいワインが必要だ。

このワインはオクラホマ州タルサ出身のインディーロックバンド "ブロンコ "にちなんで名付けられました。

チャールズは、オクラホマのクリエイティブで芸術的な文化が好きで、この州には独自のワインが必要だと考えていました。

ラベルはブロンコのバンドのメンバーの一人が描き、2017年までこのワインはオクラホマ州内のみで流通していました。

もしも青と黒に味があるとしたらこうなのだろう。

革、ブラックベリー、ブルーベリー、小石、コーヒー、黒蜜。

濃厚で凝縮感がありながら、透明感のあるピュアな味わい。

堂々としたマルベック。

寛大で、美味しく、神々しい。


【輸入元:オルカ・インターナショナル】  



価格 : 12,210円(税抜11,100円)
ポイント : 111
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33,000円(消費税込)以上は送料無料

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生産者情報
 



 
K Vintners
ケイ・ヴィントナーズ

K Vintnersはワラワラにある19世紀に建てられたチャールズ・スミスが今も住んでいる農家の隣にある小さな離れ家でつくられた330ケースから始まりました。

チャールズ・スミスが初めて事業資金の融資を申し込んだ時のことを、その銀行員は鮮明に覚えている。スミスがバナー銀行でワシントン州東部の農業とワインビジネスを担当する営業副社長のマット・E・タッカーに会いに行ったのは2001年の事でした。スミスはワイナリー立ち上げの為に25万ドルの融資が必要でした。「彼はワイン醸造家らしくなく、なおかつ資金を全く持っていなかかった。でも素晴らしいアイデアとワインのセンスを持っていた。」とタッカーは当時を振り返ります。




「私は型破りな事業計画書を持っていた。」とスミスは告白します。
それには付き合いのあるブドウ畑のリストとボトルをどれだけ持っているかが載っていたが、銀行員たちは最初にワインを飲んでみる必要があると言いました。

そこで、次の日タッカーは同僚と一緒に彼の最初のヴィンテージである1999年の2本のワインを試飲する為にスミスに会いました。彼らはスミスのが注いだワインを一口飲んだ後、互いに頷きました。
「あなたのワインは凄い。」タッカーは言いました。
「おめでとう、25万ドルの融資をしましょう。あなたのワインが担保です。」




スミスは18歳の時に家を出て、レストランで働き、そこでワインと出会います。閉店後、スタッフがボルドーやブルゴーニュの銘醸ワインが豊富に揃ったセラーからその日に売れたワインの残り物を飲ませてくれました。

スタッフがしていたワインの話にスミスは感銘を受け「当時はワインを何も知らなかった」とスミスは語ります。「白紙状態だった。ためになることはすべて吸収してワインの知識を高めていった。」
休みの日には仲間達数人でワインにお金をすべて使ってしまった。」「今でも1977年ヴィンテージのダイヤモンド・クリークがどんな味、色、アロマだったか正確に言うことができる。」とスミスは当時を振り返ります。

1990年、スミスはデンマーク人の彼女を追ってヨーロッパに渡ります。
しかし、レストランの経験があったにも関わらず、彼を雇ってくれるデンマークのワイン・インポーターはありませんでした。そこで、ロックンロール仲間と知り合いになり、バンドの出演契約の手伝いをして借金せずに生活ができるようになりました。




1999年、アメリカに戻ったスミスは、シアトルのレストランバーでベインブリッジ島の小さなワインショップを経営しているイギリス人の教授と話を始めます。「私のキッチンより小さかった。」とスミスは語ります。「彼は友達数人と経営し、ワインを卸値で買えたんだ。」スミスは頭金5千ドルを支払い、残りはワインで店を買い取るオファーを出しました。教授がそのオファーを受け入ると、スミスは友達にお金を貸してもらうよう頼み込みました。
店の休みには新しいエキサイティングなワインを生産者から直接買う為に1987年型のシボレー・アストロの小型トラックに乗り込み、ワシントン州東部に向かいました。

スミスはいつもワラワラに直行しました。「レオネッティやウッドワード・キャニオンなどのパイオニアがいて、90年代半ばから後半にワラワラ・ヴィントナーズやカユースなど次の波がやってきました。ワシントン・ワインはちょうど成長期にあり、私はそれを認識し始めていた。」と語ります。

型破りなスミスは、因習打破主義者でがむしゃらなクリストフ・バロンという若いフランス人にワラワラで出会います。1997年に植え付けたバロンの葡萄畑はカユース・ヴィンヤーズという名前で、特色のある個性豊かな赤ワインをつくっていました。

彼はスミスにワラワラでワインづくりを奨め、K Vintnersを立ち上げを助ける為に葡萄まで売ってくれました。

何を隠そう、バロンのカイユー・ヴィンヤードのシラーでつくった1999年ヴィンテージのワインが銀行の融資を勝ち取ったのです。型にとらわれない二人は、何年もの間一緒に過ごしましたが、仲たがいにより2007年に袂を分かつこととなりました。どちらも詳しくは語らないが、スミスはバロンに悪意を抱いてはいないと言っており、「考えるだけで涙が出そうになる」と付け加えます。




シアトルでスミスが小売店やレストランと築いた人間関係がK Vintnersのワインを初めてリリースした時に大いに役立ちました。彼らに試飲できないかと聞かれると「近くにいるから、今からどうか?」とスミスは言いました。

そしてワインを買いたいと言われたら、少し先に停めた小型トラックからワインを配達しました。トラックに84ケースのワインを積み込むと「前輪が地面から離れて本当に危険だった。」とスミスは真剣に語ります。

ワラワラでワインを積み込み、シアトルまで4時間半かけて運転し、積荷を軽くする為に10〜20ケース買ってくれそうなワインショップやレストランを最初に訪問し、すべて無くなるまで売り歩きました。

スミスは2001年に受けた25万ドルの融資のうち8万7千ドルで生活の基盤を築くつもりで、ワラワラの町はずれにある不動産物件の購入に使いました。

その物件には農家とたくさんの樽が保管できる離れ家があり、そこでK Vintnersの事業は始まりました。

「その後2年間はインスタントラーメンとタコススタンドをよく利用した。私には戻る場所もなく、前に進むしかなかった」と語ります。

スミスはすぐに、ワシントン州で個性を持ったワインがつくることができる葡萄畑や栽培家を見つけ出す超人的な能力を発揮。

野心的なワインメーカーが自分の気に入った葡萄畑から数トンの葡萄を購入し、職人技のワインを少量つくり出すクラシックなブティックワイナリー、K Vintnersがここにスタートしたのです。


 


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