生産者情報
KEN WRIGHT CELLARS
ケン・ライト・セラーズ
1985年ケン・ライトは妻と二人の息子と共に、古い壊れかけたトラックに10樽のワインを積んでオレゴン州にやってきました。それはウェラメット・ヴァレーをピノ・ノワールの聖地として確立する事に貢献した人物のキャリアのSTARTとは到底思えないものでした。
ケンは大学時代に当時ケンタッキー州で最高のヨーロピアン・レストランであったザ・フィグ・ツリーでウェイターとして働き、「ホールスタッフがワインの味を知ればもっとワインをボトルで売ることができる!」と、週に一度、リストに載っている1つの地域を決め、そのワインの全てを試飲しました。それがケンのワインとの出会いでした。
ピノ・ノワールの先駆者達との出会い
ケンは次第にブルゴーニュに魅了されていきます。
中でもピノ・ノワールの病に憑りつかれるきっかけとなったのが、当時まだ高騰していなかった『ラ・ターシュ』や『リシュブール』などのクラシックなブルゴーニュワインでした。
その後目指していた法科大学院進学の勉強をあきらめ、カリフォルニア大学デービス校の醸造学とブドウ栽培学に入学。
1970年後半にモントレーのベンタナ・ヴィンヤーズのアシスタント・ワインメーカーとして初めてフルタイムでワインの仕事をしていた時に後のカリフォルニアのピノ・ノワールの先駆者達と出会いました。
Chalone(シャローン)の創業者ディック・グラフに誘われ、ワインメーカーのスタディー・グループ(勉強仲間)に入ります。
その中にはCalera(カレラ)のジョシュ・ジェンセン、Kistler Vineyard(キスラー・ヴィンヤーズ)のスティーブ・キスラー、Acacia(アケイシア)のリッチ・サンフォードやラリー・ブルックスなどの、後にカリフォルワイン界を代表する錚々たる顔ぶれ達が在籍していました。
彼らは頻繁に会ってシャルドネとピノ・ノワールの研究を重ね、一日中話し合いや昼夜を共にし、お互いに多くの事を学びました。
ワインって歴史を紐解いていくとこういった繋がりが出てくるので映画みたいで面白いですよね(*ノωノ)
「ケンは仲間の手本となるような立派な男だったよ。彼はかなり無口だったが明らかに頭の良い男で、常に注意深く仕事をしていたんだ。今、私は彼を絶対的なオレゴン・ワインメーカーの頂点だと思っているよ。」
Caleraのジョシュ・ジェンセン氏はこう語ります。
オレゴンの魅力
1979年頃、ケンはオレゴンに訪れた際に試飲したピノ・ノワールに魅了されます。
『完全に熟した果実の甘美な品質があり、未熟でも過熟でもなく、とにかく完璧なブドウだった。』とケンは言います。
カリフォルニアではこれは実現できない...
それらのワインを飲んだ後、すぐにでもオレゴンに行きたいと思いましたが、当時まだその資金はありませんでした。
そして1985年、移住資金を稼ぐために以前の雇用主だったTalbott Vineyardsにワイナリーの樽にあるワインをオレゴンで販売する許可をもらい、壊れかけたトラックに10樽のワインを積みオレゴン州マクンビルの空き倉庫に店を構えました。そして1986年彼の新しいワイナリーであるPanther Creek(パンサー・クリーク)のデビュー作としてワインを瓶詰めし、ラベルを付け販売したのです。
ピノ・ノワールの名手、ケンのデビュー作はなんとカベルネとメルローのブレンドでした( ゜Д゜)笑
後に同じオレゴン州の代表的生産者として有名なドメーヌ・セリーヌもパンサー・クリークにて最初の数ヴィンテージを造りました。
ケン・ライト・セラーズ設立
パンサー・クリークをオレゴン州の名門ワイナリーに育て上げ、1994年にロンとリンダ・カプラン(現オーナー)に売却。1996年にケン・ライト・セラーズをオープンしました。
彼はオレゴン州でピノ・ノワールが流行る以前から単一畑(シングル・ヴィンヤード)のピノ・ノワールを強く支持しており、2005年には仲間の生産者の合意を取り付け、ウィラメット・ヴァレー北部の6つのランドマーク的なサブ・アぺレーションを制定する為の運動を起こしたのは素晴らしい功績の一つです。
現在に至るまでのオレゴン州での30年間、ケン・ライトはこの州のワイン造りに大きな影響を与えてきました。健全なブドウだけを選別し、発酵槽に入れる為の作業ラインや、発酵が始まる前にブドウをドライアイスで冷やすなど、今ではおなじみのアイデアをこの地に導入しました。生産者にトン単位(重量単位)ではなく1エーカー単位(土地単位)で支払う事を始め生産者は収量ではなく品質を重視した栽培が出来るようになりました。
オレゴン州で最初にブドウの房により多くの日光を当てるために、垂直方向垣根つくり(VSP)を採用したのもケンです。
Shea Vineyard(シェイ・ヴィンヤード)
ヤムヒルの町から東に3.2Km行った標高216〜240mにある1989年に植付けられた56haのブドウ畑Shea Vineyard(シェイ・ヴィンヤード)。
海洋性堆積性の土壌で当時は二コラ・ジョリーのような火山性土壌が流行していたのでバルクワインの生産者だけがこのブドウを欲しがっていました。
オーナーのシェイは家計を賄うために1エーカーあたり5トンものブドウを生産していました。
しかし、この畑のもつポテンシャルに可能性を感じたケンは1エーカーあたりの支払いを多めに払うことで、収量を2トンに減らすよう説得し、シェイもこれに同意しました。
収穫量を減らし品質の向上したブドウはリッチで複雑になり、より濃縮されていて、風味豊かなワインとなりました。
ケンは1994年にシェイ・ヴィンヤードのシングル・ヴィンヤードでワインを造った初めての生産者です。
「誰かがこの畑を信じてお金を払い、リスクを冒してでも成功させなければならなかった。ケンだけが私たちにチャンスを与えてくれたのです。」
とシェイは語ります。
今ではオレゴン州のどのブドウ園よりも多くのトップワイナリーにブドウを供給しています。
【世界で最も有名な畑10選に選出】
ワインエンス—ジアスト誌が発表した
【世界で最も有名なワインが造られる10のブドウ畑】という特集にて、
とんでもない畑たちと共にShea Vineyardが選出されました。
ブルゴーニュ白赤の二大巨頭『ロマネ・コンティ』『モンラッシェ』
ビオディナミの伝道師二コラ・ジョリーの『クレ・ド・セラン』
バローロの偉大なクリュ『カンヌビ』
カリフォルニアからは『ト・カロン』やサンタ・バーバラの銘醸
『ビエン・ナシード』と並びシェイ・ヴィンヤードが選出。
この錚々たる畑を見れば、【シェイ・ヴィンヤード】がいかに素晴らしい畑か伝わると思います。
2019年5月、当店セールスマネージジャーのWATARUが
ケン・ライト・セラーズに訪問しました!
「ブルゴーニュの有名生産者も注目の産地オレゴン州。
その中でもオレゴンワインの巨匠とも称されるケン・ライト・セラーズ。
オレゴンでのワイン造りの可能性を一早くに気付き、単一畑にとことんこだわり土壌の違いを綺麗に表現しています。オレゴンワインのスタートは是非ともケンさんのワインから!!」
By WATARU