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【2019】シャトー・レオヴィル・ポワフェレ Chateau Leoville Poyferre
数量
15,840円(税込)
当店ポイント144pt進呈
SOLD OUT
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|---|---|
| 原産地 | フランス/ボルドー/サン・ジュリアン |
| ブドウ品種 | カベルネソーヴィニヨン37% メルロー27% カベルネ・フラン3% プティ・ヴェルド3% |
| タイプ | 赤ワイン/フルボディ |
| 容量/アルコール分 | 750ml/- |
メドック格付け第2級
サン・ジュリアンに3つあるレオヴィル3兄弟。
レオヴィル・ラス・カーズとレオヴィル・バルトン、レオヴィル・ポワフェレの3つのシャトーは、かつて1つの領地でした。
そしてレオヴィル・ポワフェレは、数度にわたる分割を経て1840年に誕生。
1979年に、一族ディディエ・キュヴリエが所有者となり、格付けシャトーとして、常に先頭を率いるワインを造りを目指します。
ワイン評論家ロバート・パーカー氏は、「レオヴィル・ポワフェレの畑の可能性について博識なボルドー人に尋ねると、ほとんど誰もが口をそろえて、ポワフェレにはメドックで最も深遠といえる赤ワインを生み出せる土壌と能力があると答える。それどころか、中にはレオヴィル・ポワフェレの土壌はサン・ジュリアンの二級シャトーのどこよりも優れているという人もいる」(『ボルドー第四版』)と語っています。
テクニカルデータ
フラッグシップの2019年シャトー・レオヴィル・ポワフェレは、カベルネ・ソーヴィニヨン66%、メルロ27%、そしてバランスのとれたプティ・ヴェルドをベースにしている。
このヴィンテージのワインの中では大きくリッチな部類に入り、クレーム・ド・カシス、タバコの葉、スミレ、チョコレートのノートに加え、ゴージャスでスリリングなフルボディのスタイルを持っている。
多くのドメーヌが安全策に走り、いわゆるエレガンスとバランスに重点を置いているように見える中、ポワフェレが熟し、セクシーで、美しいテクスチャーのワインを造り続けていることが私は大好きだ。
このヴィンテージのクレーム・デ・ラ・クレームと肩を並べるこのゴージャスなポワフェレは、今後40~50年、いつでも楽しむことができる。
ブラボー!
Jeb Dunnuck
【輸入元:株式会社ファインズ】
【2019】シャトー・レオヴィル・ポワフェレ Chateau Leoville Poyferre
15,840円(税込)
商品説明

シャトー・レオヴィル・ポワフェレ
シャトーの歴史は1638年にさかのぼります。ボルドー議会の議員であったジャン・ド・モアティエ氏は、この地にモン・モアティエと呼ばれる砂利質の畑を所有していました。フロンドの乱(1648年~1653年フランスの内戦)以前にシャトーが出来ていたのはシャトー・マルゴー、ラフィットなどいくつかに限られます。
1740年、新しくオーナーとなったアレクサンドル・ド・ガスク・レオヴィル氏は、シャトー・レオヴィルの畑をメドックで最上のワイナリーにすべく、畑とシャトーの改修を行いました。彼が亡くなった時には120haという、当時で最も大きなワイナリーになっていましたが、その後のシャトーは手入れがされない状態が続きました。

1775年までは、レオヴィルのワインは『Abadie』、『Lacaze』、『Chevalier』、『Monbalon』という、4つの名前で販売されていましたが、ヒュー・バルトン氏が『Chevalier』と『Monbalon』の区画を購入し、1826年にシャトー・レオヴィル・バルトンを設立しました。
そして、1840年には『Lacaze』の区画をアドルフ・ド・ラスカーズ(氏が引き継ぎ、シャトー・レオヴィル・ラス・カーズを設立します。彼の妹のジャンヌ(は『Abadie』の区画を引き継ぎ、その後、彼女の娘がジャン・マリー・ポワフェレ・ド・セレス男爵と結婚し、シャトー・レオヴィル・ポワフェレが誕生しました。

ポワフェレ氏は1804年に自身のワイン商の仕事を始め、ノルマンディからフランダース(現在のベルギー西部、フランス北部辺り)まで販路を確立し、それはレオヴィル・ポワフェレ自体の販売にも有用な事でした。しかしその後、畑のブドウが長くウドンコ病に苛まれ、それも原因となりシャトーはラランド(Lalande)家とエランジェ(Erlanger)家に売却されます。
そしてアルマン・ラランド氏から娘婿のエドワール・ロートン氏に引き継がれ、今でもロートン家の紋章である、『デゥミ・ウルフ』がラベルに使われています。その後、ウドンコ病の害、フィロキセラの害と続けて試練を乗り越えます。

1920年、キュヴェリエ家がムーラン・リッシュ氏と共にロートン家からレオヴィル・ポワフェレを購入します。1979年からディディエ・キュヴェリエ(Didier Cuvelier)氏がレオヴィル・ポワフェレを引き継ぎ、1985年から兄弟のオリヴィエ・キュヴェリエ氏がネゴシアンの『H. Cuvelier & Fils』の方を引き継ぎます。現在は80haの畑を持ち、一部は20年位のスパンをかけて植え替えも行っています。伝統と近代技術を取り入れ、技術向上にも努めています。

1740年、新しくオーナーとなったアレクサンドル・ド・ガスク・レオヴィル氏は、シャトー・レオヴィルの畑をメドックで最上のワイナリーにすべく、畑とシャトーの改修を行いました。彼が亡くなった時には120haという、当時で最も大きなワイナリーになっていましたが、その後のシャトーは手入れがされない状態が続きました。

1775年までは、レオヴィルのワインは『Abadie』、『Lacaze』、『Chevalier』、『Monbalon』という、4つの名前で販売されていましたが、ヒュー・バルトン氏が『Chevalier』と『Monbalon』の区画を購入し、1826年にシャトー・レオヴィル・バルトンを設立しました。
そして、1840年には『Lacaze』の区画をアドルフ・ド・ラスカーズ(氏が引き継ぎ、シャトー・レオヴィル・ラス・カーズを設立します。彼の妹のジャンヌ(は『Abadie』の区画を引き継ぎ、その後、彼女の娘がジャン・マリー・ポワフェレ・ド・セレス男爵と結婚し、シャトー・レオヴィル・ポワフェレが誕生しました。

ポワフェレ氏は1804年に自身のワイン商の仕事を始め、ノルマンディからフランダース(現在のベルギー西部、フランス北部辺り)まで販路を確立し、それはレオヴィル・ポワフェレ自体の販売にも有用な事でした。しかしその後、畑のブドウが長くウドンコ病に苛まれ、それも原因となりシャトーはラランド(Lalande)家とエランジェ(Erlanger)家に売却されます。
そしてアルマン・ラランド氏から娘婿のエドワール・ロートン氏に引き継がれ、今でもロートン家の紋章である、『デゥミ・ウルフ』がラベルに使われています。その後、ウドンコ病の害、フィロキセラの害と続けて試練を乗り越えます。

1920年、キュヴェリエ家がムーラン・リッシュ氏と共にロートン家からレオヴィル・ポワフェレを購入します。1979年からディディエ・キュヴェリエ(Didier Cuvelier)氏がレオヴィル・ポワフェレを引き継ぎ、1985年から兄弟のオリヴィエ・キュヴェリエ氏がネゴシアンの『H. Cuvelier & Fils』の方を引き継ぎます。現在は80haの畑を持ち、一部は20年位のスパンをかけて植え替えも行っています。伝統と近代技術を取り入れ、技術向上にも努めています。
